明治元年東京生まれの創業者竹山岩吉が北に活路を求めて単身北海道に渡ったのは若干17歳の時でした。それからわずか4年あまり、奉公先で評判の働き者だった岩吉は、独立の機会に恵まれます。札幌の二条市場のそばに海産商「竹山商店」を開店したのが明治22年。これが当社の創業で、以降明治から大正にかけてはおもに塩干物を販売しておりました。 昭和に入り、二代目竹山裁一郎が本州から仕入れていた佃煮の原料の大半が北海道産であることに気付き、昭和2年、自ら佃煮の製造を始めることを決意しました。北海道初の佃煮工場は昭和12年に現在地に移転し、「竹山佃煮工場」と改称しました。努力の末生み出された数々の製品は、戦争による軍需にも恵まれ、多くの支持をえました。 そんな中、裁一郎のところに召集令状が届きました。当時40歳を超え、兵役を免れることも可能だった裁一郎は、「国が自分を必要としているならばそれに従うのが国民の役割」と新工場を後にし、戦地に赴きました。 残された職人、三代目、そして裁一郎の妻が工場を守りました。そして終戦。しかし二代目裁一郎は帰ってきません。昭和24年三代目竹山涼一が「竹山食品工業株式会社」を設立し消息不明の父親を社長にすえました。裁一郎はシベリアに抑留され、帰ってきたのは終戦後6年もたった昭和26年のことでした。 昭和30年代には、農村や炭鉱の好景気に支えられ、工場を拡大。昭和40年代にはスーパーマーケットの伸長を視野に入れトレー包装部門を増設。昭和50年代にはそうざい製造部門を増設しました。最近では海外拠点での一次加工を開始し、添加物低減宣言をするなど、「多様化するお客様の満足価値を最優先した商品戦略に基づく市場の創造」という基本理念に基づき、お客様のニーズに対応した商品企画、販売企画とより安全な生産供給体制の確立に邁進しております。 |
商号 | 竹山食品工業株式会社 | ||||||||||||||||
創業 | 1889年(明治22年) | ||||||||||||||||
会社設立 | 1949年5月2日(昭和24年5月2日) | ||||||||||||||||
資本金 | 1,200万円 | ||||||||||||||||
従業員数 | 40名 | ||||||||||||||||
所在地 |
本社
工場 |
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代表者公職 |
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受章 | 藍綬褒章 食品衛生功労者(平成2年) | ||||||||||||||||
受勲 | 勲五等瑞宝章 食品衛生功労者(平成10年) | ||||||||||||||||
取引銀行 |
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